
カール4世とプラハ
1347年ルクセンブルク家のカール4世がボヘミア王となり、神聖ローマ帝国皇帝(在位1354〜78)となると、プラハは帝国の政治・文化・芸術の都として発展した。
「金印勅書」を発布したカール4世は、プラハをマインツ大司教区から分離させて、独立の大司教区とした。フランスの建築家マテュー・ダラス、ドイツの建築家ペーター・パルラーを招いて大聖堂を造営させた。1348年にはドイツで最初の大学を創設し、ペトラルカを宮中伯としている。また国内外から美術家を集めて美術活動を盛んにし、美術家同業組合を組織させた。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
ヨーロッパ(北方)ルネサンス
1356年 カール4世 金印勅書を発布
「金印勅書」を発布したカール4世は、プラハをマインツ大司教区から分離させて、独立の大司教区とした。フランスの建築家マテュー・ダラス、ドイツの建築家ペーター・パルラーを招いて大聖堂を造営させた。1348年にはドイツで最初の大学を創設し、ペトラルカを宮中伯としている。また国内外から美術家を集めて美術活動を盛んにし、美術家同業組合を組織させた。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
ヨーロッパ(北方)ルネサンス
1356年 カール4世 金印勅書を発布
ボヘミア(プラハ)で活動した画家たちの創作は、三段階に分けられる。
第一段階は南ボヘミアのホーエンフルト祭壇画(14世紀半ば)。作者は不明だが、奥行きを表す表現にイタリアのジョット「スクロヴェーニ礼拝堂」の影響がみられる。また同じ頃に描かれたとされる「玉座の聖母子(1350年頃 グラーツの聖母子)」にはドゥッチョやシモーネ・マルティーニからの影響がみられる。
第二段階はカール4世がプラハ近郊に造営させたカールシュタイン城の聖十字架礼拝堂。イタリアの画家トンマーゾ・ダ・モデナの作品が設置され、人物の立体感の表現をプラハの中心的な宮廷画家、「画家プラハのテオドリック(活動期1348〜65)」が受け継いでいる。
第三段階は南ボヘミア、ヴィッティンガウの修道院に由来する祭壇画(1380〜85年頃)。「キリストの復活」は主題を流麗な線と強烈な色彩で描き出そうとしている。宮廷趣味を反映しているともされる。
第一段階は南ボヘミアのホーエンフルト祭壇画(14世紀半ば)。作者は不明だが、奥行きを表す表現にイタリアのジョット「スクロヴェーニ礼拝堂」の影響がみられる。また同じ頃に描かれたとされる「玉座の聖母子(1350年頃 グラーツの聖母子)」にはドゥッチョやシモーネ・マルティーニからの影響がみられる。
第二段階はカール4世がプラハ近郊に造営させたカールシュタイン城の聖十字架礼拝堂。イタリアの画家トンマーゾ・ダ・モデナの作品が設置され、人物の立体感の表現をプラハの中心的な宮廷画家、「画家プラハのテオドリック(活動期1348〜65)」が受け継いでいる。
第三段階は南ボヘミア、ヴィッティンガウの修道院に由来する祭壇画(1380〜85年頃)。「キリストの復活」は主題を流麗な線と強烈な色彩で描き出そうとしている。宮廷趣味を反映しているともされる。